木を見て森を見ず
私の事務所からは、南に雄大な桜島、北に穏やかで温厚な表情の霧島連山を眺めることができる。
桜島は毎日のように大噴火を繰り返しているし、あの新燃岳が時々ではあるが今も活動している。
火山のない地域の人々から見るとこのダイナミックさは言いようのない魅力に写るようだ。
私は、自然の躍動を目の当たりに見る事の出来るこの地で仕事をしている。
その所為ではないだろうが、私はいたって活動的で前向きな思考をしていて、いつも何かに挑戦し続けている姿に、周りが驚くことはしばしばある。
けっして無理をしている訳ではないが、私自身もその理由は分からない。
ここ鹿児島には西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬を陰から支えた島津家の家老 小松帯刀などの歴史的人物がいた。
それぞれの運命は様々であったが、そういういう人達が実際にいて、彼らの考え方や行動が日本を根底から変えてきたという事、ここ鹿児島が日本の維新の中心的役割を果たしたことは間違いない。
鹿児島は、その原動力になるエネルギーを持っていた土地だったのだ。
西郷が足繁く通い、龍馬がお龍と湯治の為に訪れた霧島には、多の温泉があり、地熱を利用した発電所もある。
さらに、風力発電、水力発電なども有り、言わば自然エネルギーの宝庫でもある。
霧島や九州の豊かな森や川を眺めていると、「木を見て森を見ず」という言葉が、いつも頭の中をよぎる。
そして、日本人は何か大切な物を忘れてしまったような気がしてくるのである。
「木を見て森を見ず=細かい枝葉だけ見て大局的な見方が出来ない」という本来の意味だけではなく、自然をどう活用して共存していくか?本当に人間に必要なものは? 採算性・経済効率を優先したエネルギー政策が本当に人間の幸せに結び付くのか?
家とは家族が快適で健康に楽しく過ごせ、世代を超えて受け継がれる物ではないのか?数値だけに追われる省エネ住宅が果たして人間が本来必要としている住まいなのか? 等を考えるのである。
そう考えながら、自分自身に警鐘を与え、幕末の志士たちが命をかけて世の中を変えていったあの精神を少しでも受け継ぎ、何が本当に必要なのか?
それを追求していきたいと思う。
2011年4月6日
セルフエナジーハウス研究会
代表 上野 勝
2012年05月31日【3】